理系の聖地・日本科学未来館巡礼記

日本科学未来館に行ってきた。

 

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理系のメッカ、日本科学未来館

 

私大受験が一段落つき、息抜きに友達と訪れた。実は日本科学未来館には過去に2回行ったことがあり、東京に来るたびに行っているような感じだった。今回帰国後初めて行くので、とても楽しみにしていた。

 

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10時の開館後、真っ先に見たのは、ドームシアターでの作品「9次元から来た男」だ。ドームシアターでは、プラネタリウムのようなドーム状のスクリーンで、赤と緑の3D眼鏡をかけて鑑賞する。そのため映像は若干ぼやけて見えるが、画面から飛び出すような大迫力の世界に包み込まれることができる。

 

「9次元から来た男」は、題名から予想できる人もいるかもしれないが、超ひも理論の話である。簡単に説明すると、超ひも理論とは、世界を形成しているものは粒子ではなく、9次元以上の「ひも」であるとする仮説であり、いまだ科学で説明のついていない現象に、一つの答えをもたらすことが期待されている理論だ。これが、物理世界のすべてを解き明かす「万物の理論(Theory of Everything)」となるのではないかと考える人も多い。理論物理学の最先端の分野で、もともと俺は強い興味を持っていたので、今回見ることができてよかった。

 

ストーリーは、T.O.E.と呼ばれる人物が、観客を原子以下のミクロの世界、ビッグバンの起こる前、そして9次元の世界へと連れていくというもので、超ひも理論研究の現状とそれが予測する世界をわかりやすく説明する。CERNや東京大学なども協力しており、正確なデータと理論の記述に基づいている。俺はこの作品で説明されていた概念は大体すでに知っていたのだが、それでもその概念の興味深い可視化を見ることができて、非常に面白かった。画面から飛び出して観客を突き抜けるようなグラフィクスと、大迫力の音響効果には、時々気持ち悪くなることもあったが、30分間超ひも理論の描き出す神秘的な世界に入り込むことができたのは、大きな価値があった。それで鑑賞料が100円なのだから、安いものである。

 

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その後は常設展を見た。宇宙や生命、ロボット、情報技術など、様々なエキサイティングな展示が並ぶ中で、特に強い関心を持ったのは、地球環境についての展示だ。そこではまず、自然ではすべての資源が循環し、命のサイクルを保っているのだと説明したうえで、今まで人間がどう一方向のモノの流れを作り、自然の摂理を乱してきたかを見せつけられる。人間は地球から資源を大量に搾取し、それを使って製品、エネルギーを作り出し、使い終わったら廃棄する。そのごみは、自然に変えることはない。このような一方向のモノの流れにより、地球温暖化が促進され、地球環境が破壊されてきた。持続的な社会は、循環型社会でなければならないと思い知らされる。

 

そこで、循環型のものづくりに関する研究がいくつか紹介される。一つは、植物からプラスチックを作り出す技術だ。従来のプラスチックは化石燃料を加工して作られる。化石燃料は有限の資源であるうえ、加工されたプラスチックは廃棄されても自然に帰ることはない。だから近年問題になっている海洋プラスチック問題などが生じるのである。対して植物プラスチックは、自然によって容易に分解されることができる。また、植物が大気中から取り込む二酸化炭素と水から合成されるため、最終的に分解して二酸化炭素が放出されても、それはもともと大気中にあったものであるから、資源が循環しただけである。植物プラスチックにはいくつかアプローチがあるようだが、一つは稲の葉の中で微生物か酵素かによってプラスチックを合成する方法である。将来の稲は、実は食料として、茎は繊維として、葉はプラスチックとして、利用されるのかもしれない。

 

また、樹木の成分を最大限に利用して、循環型の製品を作る試みもある。樹木はセルロースでできたかごの中に、リグニンと呼ばれる分子が絡み合った構造をしている。今までは、リグニンの部分は廃棄され、セルロースのかご状構造の部分が紙や繊維として利用されてきた。そこで、リグニンも利用してやることで、新たな繊維や燃料としての可能性が生まれる。最終的には二酸化炭素まで分解され、次の木を作る材料となる。

 

このように、自然の恵みを分けてもらい、それを使ったらそれを自然に帰すという、循環型で、自然と一体となった生活を俺たちの世代は築いていかなければならないと痛感した。そのためには、ここで紹介されていたような循環型のものづくりが必要なのだが、その前に先進国に蔓延する大量生産、大量消費、大量廃棄の文化を、根本から見直していかなければならないのではないか。無限の利益を求める資本主義は、有限の資源しかない地球上で、いつまでも存在していくことはできない。共産主義をすすめているわけではないが、持続可能な社会を支えうるイデオロギーの構築が、我々の喫緊の課題なのだと思う。

 

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未来館に来たら、ロボットを見ずには帰れない。今回はASIMOのデモ、東大・池上研の「オルタ」、そして阪大・石黒研の「オトナロイド」を見てきた。

 

ASIMOのデモでは、ASIMOが歩いたり、走ったり、話したり、ボールを蹴ったりするのを見た。驚くほど滑らかな動きで、横歩きやけんけんなどもたやすくこなした。そしてジェスチャーも交えながら話している様子は少しほほえましかった。あれは、言うことなすこと全部ハードコードされているのだろうか。そうだとするとくそめんどくさいぞ。でもボールを蹴っていたってことは、ちゃんとAIで画像認識とかして動いていたということだろう(ボールにセンサーみたいなのが入っているとかでない限り。それはチート)。それか、あれは遠隔操作で、細かい動きの制御はASIMOで処理しているが、次にどういう動きをするかとかはどこかで人間が決めているのだろうか?詳しいことは知らないが、とにかく2足歩行でバランスをとるハードウェアと制御プログラムはものすごいということが分かった。

 

「オルタ」というロボットは、今日見た中で一番衝撃的な展示だった。見た目がかなりグロテスクである。金属むき出しのロボットの体に、真っ白な手と顔だけがついており、奇妙な動きをし続ける。絶対に止まらない。ひたすら顔と手を動かし続ける。そして時々口を動かしたりにやりと笑ったりするのがなんとも不気味である。どうやら人の動きに反応してAIで学習しながら動いているようだ。

 

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こわい。夢に出てきそう

 

池上教授がこのロボットを開発した背景には、「生命を持つように感じさせるものは何か?」という問いがある。このオルタを見て人間だと思う人はいないと思うが、池上教授は見た目ではなく、動きの面から、生物とは何か、人間とは何かという問いに答えようとしている。確かに、このオルタは、見た目は機械そのものであるが、動きには、どこか生き物のような生々しさを感じる。こいつは、いったい何を考え、何を表現しようとしているのか?相手が機械であるから、何の目的もないことはわかっているはずなのに、このような疑問が浮かんでくる。生命と機械の境界は、どこにあるのだろうか。

 

不気味に動き続けるオルタの隣に展示されていたのが、微動だにしない「オトナロイド」である。人間の女性に極限まで似せて作られており、遠くから見たら人間か機械か全然わからない。しかし近くで見ると、やはりアンドロイドなのだと分かる。しかし顔など細部まで作りこまれており、瞬きまでする。デモが始まると、オトナロイドは顔を動かし、しゃべるのだが、やはり動きは少しぎこちなく、まだまだ人間には遠いという印象を受けた。面白かったのが、オトナロイドは実は遠隔操作型で、操作する人がマイクに向かって話すと、その声が女性の声に変換され、オトナロイドがしゃべっているようになる。このデモでしゃべっていたのは男性で、彼の声がコナンの蝶ネクタイみたいに甲高い女性の声に変換されていたのがシュールだった。ただ声の変換の質はあまり良くなく、かすれたような声になっていた。今のAIなら、もっといいものが作れるような気がするが。

 

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遠くから見ると結構かわいい。近づくと機械だと分かる

 

デモの後、デモの人に、オトナロイドの皮膚は固そうに見えるが、何でできているのか聞いてみたところ、それがシリコンであると教えてくれた。しかもオトナロイドの耳のサンプル(!)も触らせてくれた。ぐにゃぐにゃで柔らかいゴムのような感触で、むしろ人間の耳よりも柔らかい感じだった。ではなぜ、あんなに固そうに見えたのか。デモの人は、それは動きがないからではないか、と言っていた。人間の顔は、常に微細な動きを伴っているため、生命感があり、それが柔らかそうだと感じる。しかしオトナロイドは、顔の筋肉の動きが不自然で、それが固そうで機械的な印象を与える。

 

石黒教授も、ロボットを通して「人間とは何か」という問いに答えようとしている。今はまだアンドロイドの見た目は人間とは遠い。しかし近いうちに、ロボットが人間に似すぎると恐怖を覚える「恐怖の谷現象」を超えて、人間と見た目が完全に同じなロボットができるかもしれない。そうなったとき、人間と機械を分けるものは何か。「オルタ」と「オトナロイド」は、この哲学的な問いについて考える、一つのきっかけとなる。

 

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10時の開館から5時の閉館まで、昼飯も食べずに時間を忘れて楽しんだ。来るのは3回目だが、来れば来るほど面白くなっていく、不思議なところである。ただ展示が面白いだけでなく、これから理系の人間として、科学技術で社会に貢献していくうえで知っておくべきこと、考えておくべきことを深く感じ取ることができた気がする。

 

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未来館のシンボル、ジオ・コスモスは、いつ見てもきれいだ

 

秋に落合陽一が監修する新しい展示ができるらしいので、また来る。