私たちの住む宇宙② 宇宙の根底の物理世界

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前回の記事では、新たな情報が得られるたびに我々の世界観を新しいものに更新していくことの重要性と、詩的自然主義による世界の階層構造の理解について書いた。今回は、その詩的自然主義の様々な世界観のなかで最も基本的なものである、物理学による宇宙の理解について考える。

アリストテレスの世界観

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古代ギリシャの哲学者、アリストテレス

アリストテレスは、宇宙のあらゆる事象には理由があり、自然界には4種類の原因があるとする四原因説を唱えた。その4つの原因とは、質料因(ものの物質的な原因、e.g. 本の質料は紙)、形相因(ものがなんであるかを規定する原因 e.g. 本の形相はそれに書かれていること)、作用因(運動変化の原因 e.g. 本のページがめくられるのは手がそれをめくったから)、目的因(存在理由 e.g. 本の目的は読まれること)である。

これらの原因が物体に変化をもたらし、その変化がまた別の変化をもたらすという原因と結果の連鎖、すなわち因果律こそが宇宙の根本原理であるとアリストテレスは考えた。そして、この因果の鎖を逆にたどっていくと、宇宙のすべての原因、絶対的な第一原因にたどり着く。アリストテレスはこの第一原因こそが神であるとした。

しかし世界のすべてを原因だけで説明するのには無理がある。世界には理由のない事実が存在するからだ。たとえば、「なぜ宇宙はこのようになっているのか」「なぜ物理法則はこのようになっていて、ほかでないのか」といった問いには答えることができない。それらには理由はなく、ただそうなっているとしか言えない。「理由」「原因」「結果」というのは抽象的で高レベルの概念であって、世界の最も基本的な説明に使われるべき語彙ではないのだ。

古典物理学の世界観とラプラスの悪魔

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ラプラスの悪魔は全宇宙の過去、現在、未来を知覚する

古典物理学は、アリストテレスの4つの原因のうち、作用因、すなわち物体の運動の様子のみによって世界を説明しようとした。ニュートン力学や相対性理論はどちらも古典物理学の領域にあり、物体の運動を支配する法則である。物理学の法則を使えば、身の回りで起こっている様々な事象を説明し、また予測することができる。

ところで、宇宙は原子でできており、原子も物理法則にしたがう。だから、すべての原子の位置と状態を知ることができれば、その一つ一つに対して物理法則を適用してその次の動きを予測することで、世界で次に何が起こるのかを完璧な精度で予測することができる。このような、宇宙のすべてを理解することのできる仮想的な知性のことを、提唱者ピエール=シモン・ラプラスにちなんで「ラプラスの悪魔」という。ラプラスの悪魔は、現在の宇宙の状態(原因)と物理法則を知ることで、未来の宇宙の状態(結果)を導くことができる。ラプラスの悪魔は、因果律によって宇宙の未来はすでに決定されているという因果的決定論の議論に用いられる。

これが、古典物理学が提示する世界の最も基本的なレベルの理解である。世界にあるのは粒子と物理法則だけで、物体の運動は決定論的に決められる。そこに外部の概念が介入する余地はない。現在の宇宙の状態は過去の宇宙の状態に完全に依存しており、未来は現在に完全に依存する。

しかし実際に全宇宙の状態を把握することは不可能だから、実際に未来を知ることはできない。そして物理学は決定論的だが、人間といったより高次の複雑な概念に対しては決定論を用いることはできない。人間の行動は非決定論的で、人間の行動を完全に予測することはできない。最も基本的な世界観が決定論的だからといって、我々の行動や思考もすでに運命で決められていると決めつけるのは誤りである。それは違うレベルの解釈を混同して用いている。決定論が当てはまるのはその基本レベルの解釈だけであって、人間のレベルの世界観に決定論を用いることはできないのだ。

量子力学による確率的な解釈

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超ミクロ世界の量子力学によると、宇宙は確率で記述される

20世紀に入ると、量子力学が誕生した。量子力学は、ミクロの世界、万物を構成する素粒子の世界における物体の振る舞いを驚くべき精度で説明することができる。物理学において最も基本的なレベルの理論であり、それはすなわち宇宙の最も基本的なレベルの解釈であることを意味する。

しかし量子力学は、従来の古典物理学による決定論的な世界観を根本から揺るがした。量子力学においては物体が決定論的ではなく、確率論的にふるまうということが分かったからだ。古典物理学においては、物体の位置や速度といった物理量は決定論的に予測することができる。ボールを投げた後にどのような動きをするかは、ボールを常に観測しなくてもボールの初速度がわかれば計算で知ることができる。しかし量子力学では、物理量は観測されるまでは確率によってしか記述できない。観測していない間の電子の状態は確率によってしか知ることができず、観測を通して初めてその状態が決定される。量子力学は非決定論的なので、全く同じ実験を繰り返しても毎回違う結果が得られるということがある。さらに、ハイゼンベルグの不確定性原理によると、素粒子がどのような状態にあるのかを完璧な精度で観測することはどんなに観測機器の精度を高めても理論的に不可能なのだ。よって、系のすべての状態を完全に把握することはどんな知性をもってしても無理であり、ラプラスの悪魔が否定されることとなった。

量子力学における基礎方程式であるシュレーディンガー方程式の解は波動関数と呼ばれ、波動関数を用いて粒子がある状態にある確率を計算することができる。波動関数は系の量子状態を表し、その絶対値の2乗は量子状態の確率分布を表す。量子力学の世界観によると、宇宙は波動関数である。そしてそれが何を意味するのかということに対しては、様々な解釈が存在する。量子力学の先駆者のひとりであるリチャード・ファインマンは、「量子力学を理解している人は世界で誰一人いない」といった。量子力学は現実世界をうまく説明できるけれども、その理論が何を意味しているのかを根底から理解している人はいないということだ。量子力学は我々の直感からあまりにも離れていて、共通の理解というものが存在せず、様々な解釈が混在している。その中で最も有力な二つの解釈である、コペンハーゲン解釈と多世界解釈を見てみよう。

量子力学は何を意味するのか

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かわいそうな猫ちゃん

量子力学の解釈の一つであるコペンハーゲン解釈は、量子状態を様々な状態の重ね合わせ(Superposition)ととらえ、観測されるまではそのうちのどれでもない(または、すべて同時に存在する)とし、観測することによって状態が確定する(波動関数の崩壊)と考えた。なぜ観測によって波動関数が崩壊するのかの理由は、いまだにわかっていない。コペンハーゲン解釈をわかりやすく表現しているのが、有名な「シュレーディンガーの猫」の思考実験である。箱の中に一匹の猫と、1時間に50%の確率で崩壊する放射性物質、そして放射性崩壊がおこると毒ガスを発生する装置を入れる。箱を閉じて1時間後、猫は生きているか、死んでいるか?箱を開けた時に猫は生きているか死んでいるかわかるが、直感的には猫の生死は箱を開ける前にすでに決定されていると考えるだろう。すでに生死は決定されていて、観測することによってその結果を知ることができる、と。しかし、コペンハーゲン解釈的な考え方をすると、箱を開けるまで猫の生死は決定されていない。猫は生きているのでも死んでいるのでもなく、50%の確率で生きている状態と50%の確率で死んでいる状態の重ね合わせであると考える。そして、箱を開けて観測することによって、波動関数が崩壊するすなわち状態が確定されて、生きているか死んでいるかの状態を確認できる。シュレーディンガーはコペンハーゲン解釈を批判するためにこの思考実験を行ったが、むしろコペンハーゲン解釈を説明するために用いられることが多い。普段何気なく使う「観測」という言葉だが、量子力学においては非常に大きな意味を持つのだ。

コペンハーゲン解釈を支持する科学者は多いが、様々な批判もある。観測によって波動関数が崩壊する過程が説明されていないし、そもそも何をもって観測とするのか、観測の定義とは何かがよくわかっていない。そこでエヴェレットが提案したのが、「多世界解釈」である。多世界解釈では、波動関数は観測によって崩壊せず、量子状態は観測の前後で不変である。かわりに、観測をすると世界が「猫が生きていることを観測した世界」と「猫が死んでいることを観測した世界」に分岐する。つまり、量子状態が「猫が生きている」と「猫が死んでいる」の重ね合わせから、「観測者が猫が生きていることを観測した」と「観測者が猫が死んでいることを観測した」の重ね合わせに変わったということだ。観測者は自分がいる世界しか知覚できないから、波動関数が崩壊して状態が一つに定まったように見えるが、実際は観測者自身も重ね合わせ状態にあるのだと多世界解釈は考える。そして、すべての分岐した世界を含めて考えると宇宙は決定論的である。宇宙はあらゆる可能な状態の重ね合わせであり、一つの波動関数で表すことができる。そして波動関数は崩壊せずに決定論的に変化して行くから、宇宙は決定論的に決まるのである。多世界解釈の主な利点は波動関数の崩壊を仮定しなくても量子力学を説明できることと、古典物理学の決定論的な世界観に矛盾しないことだが、コペンハーゲン解釈と同じようにこれも日常の感覚から大きくかけ離れているし、そもそもコペンハーゲン解釈と多世界解釈は同じことを言い換えているだけであって本質的に同じなのではないかという議論もあるから、完全に受け入れられているわけではない。

俺は量子力学の深い知識を持っているわけではないし(この記事の量子力学の説明は本を読んでネットで調べて初めてわかったことである)、俺の意見など何の役にも立たないと思うが、個人的には多世界解釈がしっくりきた。コペンハーゲン解釈の、観測という行為によって波動関数が崩壊し宇宙の状態が変わるという考え方が自分の中で許しがたいものなのである。次回以降の記事で書くと思うが、人間の意識というものはマクロ的に出現した概念であって、宇宙の最も基本的な説明には導入してはいけないはずである。それなのに、意識を持った観測者が宇宙の状態に影響を与えるというのは全く理解できない。それに対して多世界解釈では、波動関数の崩壊がないので受け入れられるし、それになんかパラレル・ワールドみたいで楽しい(SFなどで描かれる一般的に使われる意味でのパラレル・ワールドとは違うが)。パラレル・ワールドの存在が物理学で証明されているということを昔聞いたことがあって、その時はへー物理学ってよくわかんないないけどすごいなーと思わなかったが、どうやらこのことだったらしい。まあ、正体を知ったところで感想はいまだにへー物理学ってよくわかんないないけどすごいなーだが。

ところで、確率に支配された量子力学に、神の存在を見出そうとする人がいる。宇宙の量子状態は確率で表されているが、実際にどの状態を取るのか決定するのが神である、と。これは誤りである。確率は完全にランダムであり、神の主観的な意思は影響を及ぼせない。また、波動関数自体は決定論的に変化していくので、神が量子状態を選択することで未来に影響を及ぼすということは不可能であると思われる。量子力学が非決定論的であるというのは、「現在の状態がわかれば未来の状態もわかる」ということが成り立たないからであって、「現在の波動関数がわかれば未来の波動関数もわかる」という広い意味での決定論は成り立つ。だからそこに神が介入する余地はないのだ。アインシュタインが量子力学の不確定性を批判して「神はサイコロを振らない」といったのは有名な話だが、量子力学に神の存在を求める人がいるのは皮肉な話である。

宇宙の根底の物理世界

これが、現在の科学が提供する、もっとも基本的なレベルの世界の理解である。量子力学の予測は実験結果と驚くほどの精度で一致し、ベイズ推定によって非常に高い確からしさが裏付けられている。現代物理学の世界観は、宇宙を波動関数としてとらえ、それは量子力学の法則に基づいて広い意味で「決定論的に」変化していくと考える。

一つ断っておきたいのは、量子力学が誕生したからといって古典物理学が間違いになるわけではないのである。今まで古典物理学の世界観が最も基本的なものだと考えられてきたが、量子力学の誕生に伴って古典物理学の一つ下のレベルに新しい世界観ができた。しかし古典物理学はただ最も基本的な世界観ではなくなっただけで、それは真実であり続ける。詩的自然主義では、世界の説明のの抽象度の違いによって、様々な解釈が可能である。古典物理学は、量子力学をよりマクロなレベルに近似した、より高レベルな世界観であり、それは椅子が実在するのと同じように真実である。

物理学はまだ不完全な、未完成の理論である。特に量子力学と相対性理論の矛盾を解決することがいまだにできておらず、宇宙のすべてを説明する「万物の理論 Theory of Everything」はまだ見つかっていない。基本レベルの世界観はこれからも塗り替えられていくだろう。これからの物理学の発展に、大いに期待したい。

宇宙の最も基本的な世界が分かったところで、次回からはよりマクロな世界、生命と人間の世界に目を向けたい。我々の宇宙を支配する物理法則から、複雑な生命のシステムがどのように発達してきたのかを検討する。