アートが問い、技術が創る未来

今日は中学からの友達と、六本木ヒルズの森美術館に行ってきた。

六本木は初めて!六本木ヒルズはめちゃくちゃ高かった。エレベーターに乗って、気づいたら52階に。展望台があったので外を眺めてみると、眼前に東京タワーの姿があった。東京タワーは遠くから見ると大して高くないなという印象を受けるけど、近くで見るとやはり高い。もうちょっと奥の方にスカイツリーも一緒に見えた。こちらは何度見てもバカ高い。

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東京タワー、こんなに近くで見るのは初めて

今日見た展示の題名は、「未来と芸術展:AI、ロボット、都市、生命~人は明日どう生きるのか」。連れが美術館に行きたいと言っていたので、候補を見せてもらったところ、俺の興味のあるテック系の展示が見れそうだったので、森美術館を選んだ。日本科学未来館のような雰囲気を感じたので、これは楽しめそうだ。ところで彼は(ガチの)アーティストで、やっぱり芸術家と美術館を回るのは一味違って面白い。

入って最初に、AI美空ひばりに出迎えられた。日本を代表する歌手(といってみたものの、俺は知らない)である故人美空ひばりの姿と声を、AIテクノロジーによって復活させようという試みで、2019年の紅白歌合戦で見た人も多いだろう。このプロジェクトは死者への冒涜だという批判もあるらしいけれど、とりあえず倫理的な問題は置いといて見て思ったことを書きたい。

俺が彼女(あえて、「それ」ではなく「彼女」といってみる)を紅白で見た時、そのクオリティに驚いたのを覚えている。まるで本人がそこにいるようななめらかで自然な動きが表現されており、声もまるで人間が歌っているような響きがあった。俺は本人の声を知らないので似ているのかどうかは判断できないが、たぶん似ているのだろう。ボカロの声とかは、どこか機械的な、人工的な響き(全然聞かないので最近はどうなのかわからないけど、少なくとも数年前はそうだった)がするけれど、AI美空ひばりの声はとても自然だった。今回、彼女を間近で見てみて、改めてその質の高さに感動した。AIが人の声をまねできるというのはだいぶ前からニュースになっていて知っていたが、実際に見てみるとやはり迫力がある。AI美空ひばりは、不気味の谷を優に超えている。この技術はもちろん悪用は可能で、実際ディープフェイクとかが問題になっている一方、このようにエンターテインメントとしてうまく活用すれば、新しい領域が開けるのかもしれない。

展示は「都市と建築」→「ライフスタイル?」→「生命?」→「AI?」みたいな感じで並んでいる。

最初の都市・建築のコーナーでは、現在進行している急進的な都市計画とか、面白い形をした建物の構想案とかが展示されていた。前から思っていたことだが、大体の「未来都市」の想像図みたいなものは決まって、超高層ビルから植物が生えているような感じである。どんどん建物は高くなりかつ密度を増していくが、それと同時に街に緑があふれている、というようなイメージが共通している。環境にやさしいとか、持続可能な社会みたいなことを表現しているのだろう。ありふれたイメージだけども、俺はこれが結構好きで、こんな街に住みたいなと思う。六本木ヒルズの展望台から東京を一望したとき、視界に入ってくるのはただひたすら地平線まで届く、灰色のビル群だった。広い関東平野が無機的な人工物によって覆いつくされ、それから出る煙で空はかすんでいる。これが世界最大の都市・東京かと思うと、何か少し悲しみのようなものすら感じる。語彙力がなさすぎるんだけど、なんかもっと、自然と調和しなきゃなって思う。もっと自然と融合した、地球と調和した未来が来ることを願うばかりである。

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これは中国の先進的な建築

ライフスタイルについての展示では、食に関するアートが目を引いた。近年昆虫食が注目を集めているが、ここではカラフルな遺伝子組み換えゴキブリの広告を模したアートが展示してあった。めちゃくちゃ気持ち悪いし絶対に食いたくない。あとは3Dプリンターで寿司を作る機械の展示があった。実際にこの機械を使ったレストランが数年後に東京で開かれるらしい。寿司といってもいつも見るようなものとは全く違う形をしており、何かとげがたくさん生えていたり、立方体の形をしていたりと様々だ。食べ物が3Dプリンターで作られるようになれば、レシピはデジタル化して共有することができるし、今までにできなかったようなものも作れるようになるはずだ。テクノロジーと食の融合はまた新しい可能性を秘めている。

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寿司の3Dプリンター。このプロジェクトの名前は、"Sushi Singularity Tokyo" (寿司の特異点)

犬ロボットaiboと、よくわからないけどかわいいペンギンのようなロボットの展示もあった。なでると鳴いたり喜んだりする。いつかロボットがペットとなることのできる時代が来るのかもしれない。

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かわいい

これは次の生命に関する展示にあった、心臓の模型。生命の象徴である心臓を神聖なものを祭るように展示することで、生命工学はどこまで踏み込んでいいのかという問いを提示しているらしい。

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なんだかゲド戦記を思い出す

これは半分人間、半分チンパンジーの親子を想像して作られた模型。このようなことも技術的に可能となるのだろうが、そんなことをしていいのだろうかという倫理的な問題が残る。

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親はチンパンジー似で、子どもは人間似。

最後はAIについての展示。有名な「トローリー問題」を扱ったアニメーションだとか、AIを裁く裁判の映像作品だとか、観客の顔を認識・追跡してスクリーンに表示する、中国の監視社会を彷彿とさせる展示などがあった。中でも特に考えさせられたのは、AIによって作られたアートである。

これはAIではないんだけど、コンピューターがランダムに決めた長さや太さの金属パイプをたくさんつなげた作品。とても幻想的できれいだ。「人間にはこれを作ることは不可能」という説明書きがされていた。確かに、この大量のパイプの形をすべてランダムに決めてつなげるというのはとても人間にできることではない。

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コンピューターによって作られた幻想的な空間

これは、どこかのウェブサイトで"everything"というタグがつけられた画像をAIに学習させて作った映像。「すべての歴史」みたいなタイトルだったと思う。花や建物、宇宙などのオブジェクトのぼんやりとしたイメージが、シームレスに流れていく様子は、何か神秘的であり、ほんとうに「すべての歴史」を体現しているような印象を受けた。

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これが、すべての歴史

AIは芸術家になれるのかという問いがあるけども、俺はあくまでAIは創造を手助けするツールであると思う。AIは自分で何かを作りたい、表現したいという欲求は持たないが、アーティストがその目標を達成する手段として、活用することはできる。

それでいて、AIが作り出すアートは、芸術家が何億人集まろうとも作れないものである。俺はアートには詳しくないけれども、思うに、AIによるアートっていうのはもっとも純粋な形の芸術なのだと思う。AIは文化的、社会的なバイアスを全く持たない。それは、膨大なデータに基づいた、客観的な統計なのである。AIによって作り出されるアートは、人種や世代を超えることのできる、最も普遍的な形のアートなのではないだろうか。

AIのバイアスをなくそうという動きが最近大きくなっているようである。会社の社員を採用するアルゴリズムが、人種や性別によって判断を下したりといった問題が起きているからだ。ついこのあいだも、日本のAI研究者の大澤昇平が「うちは中国人は雇わない」などとツイートして大炎上したが、彼はそれはAIによる判断だったと説明した。おれは、アルゴリズムはあくまでも客観的な判断を下しているのだと思う。これは人種差別を助長したり大澤氏を擁護したりするために言っているのではないが、明らかに人種や性別と能力に大まかな相関関係はあると考える。実際黒人は身体能力が高いだとか、アジア人は数学が得意だとかという特徴はある。しかしそのステレオタイプをその集団全員に当てはめることはいけないということを私たちは知っているし、人種を基に何かの判断を下すのも倫理的にいけないことを知っている。だから私たちは、AIのバイアスをなくすのではなく、AIに「人種・性別を基に判断を下してはいけない」という正のバイアスを組み込んでいるのではないだろうか。全くバイアスのない純粋なAIは時に倫理的に間違った行動をするから、私たちが倫理的なバイアスを組み込んでやらなければいけない、そういうことだと思う。

だいぶ話がそれてしまったが、アルゴリズムの客観的な統計によって作り出されるアートは、人間の文化的、倫理的バイアスにとらわれていないという点で、ある意味、人間を超越しているのかもしれない。もちろんAIが学習するデータが人間によって作られるものなら多少のバイアスは含まれるけど、意思決定の段階では全く純粋な判断をするのだ。もし宇宙人がいたとして、彼らが人間のアートを理解できなくても、AIのアートなら理解できるのだろうか。

などと、いろいろ考えさせられる展覧会であった。アートっていうのは、何かに解決策を提示するものではなく、解決されるべき問題を提示するのが役目なのだと思う。例のチンパンジーの展示は、生命倫理についての問いを提示しているし、ゴキブリだって、「食べ物とは何か」といった問いを発しているととらえることもできる。そしてその問いにテクノロジーが答えていく。過去のSFは今の日常となり、今日の不可能は明日の常識となる。このプロセスを繰り返していくことで、歴史が形作られていくのではないだろうか。アートが社会に対して未来の方向性を問うことによって、人類が進むべき方向が決定されるんだと思う。

それじゃあ、AI美空ひばりは社会に対する何かの問いかけなのだろうか?例えば、「死とは何か」。このプロジェクトで姿と声は死後もよみがえることができることが証明された。いつか思考もデジタルに保存できるようになったとしたら、死とは何を意味するのだろうか?生物的な生というのは大して本質的に重要なものではなくなるのか?その人に関するあらゆる情報が死後も生き続けるのなら、それは生きていると言えるのだろうか?問いはいくらでも出てくる。

アートは問題提起の一つの手段でしかなく、それにはほかにもいろいろな方法がある。例えば本を書くとか、テレビに出るとか、ブログやソーシャルメディアで発信するとか、友達と話すとか。しかし、未来に対する問いかけができる能力は、これからどんどん重要になっていくんじゃないか。身の回りに情報があふれる中で、しっかり自分の考えや方向性を決めるためにも、問題提起の能力は必要だと思う。こうした能力をしっかり育んでいきたいと思った。

学ぶことの多い一日であった。日本科学未来館は、未来的なテクノロジーがたくさんあって理系の人間としては聖地のような場所だが、美術館ではアートから現代・未来の科学技術について考えることができたとおもう。