ブログ・リファクタリング

大人気ブログ「特異点の向こう」がまもなく開設1周年を迎えるのに合わせ、現在俺は約60本の過去記事のリファクタリング/アップデートに勤しんでいる。記事を毎日読んでいる熱烈な特異点ファン諸君はもちろん過去記事の一部が修正されていることにお気づきのことだろう。

思うに、ブログの記事というのは書いたら終わりではなく、ソフトウェアのように常に最新版にアップデートされるべきなのだ。ソフトウェアも、ブログ記事も、公開した時点ではそれは完成品ではない。ソフトウェアにバグがあるように、ブログの記事にも、誤った情報や誤解を招くような記述、文法の間違いなどがつきものである。数式を表示するLaTeXがうまく動作していないなんてこともある。そのため、文章を公開した後も推敲を繰り返して、文章を洗練させていく必要がある。

また、ソフトウェアのアップデートはバグ直しだけではなく、新機能の追加もある。同様にブログの記事も、新しいエピソードを追加したり、内容をより深く掘り下げたりすることができる。時間をおいて記事を読み直すことで新しい視点から内容を捉えることができるかもしれないし、記事を公開した後に体験したことで内容と関わるようなことがあれば、それを付け足すこともできる。

そしてソフトウェアのアルゴリズムを根本から書き直すこともある。つまり、ブログに書いてある考えを変えることがある。ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。人間の考えは絶えず変化するものだ。プログラミングでは、3か月前に書いたコードは別人が書いたコードであるとよく言われる。3か月前に書いた記事に書いてある意見は、今自分が持っている意見とは全然違うということがありうる。俺も記事を書いているときに昔の記事を参考にしようと思って読み返していたら、今持っている意見とは全く逆のことが書かれているということが実際にあった。

しかしブログ記事がソフトウェア開発と異なる点は、過去の記事に書いてある意見が誤ったものであったり、現在持っている意見とは異なっているものであったとしても、それを変えずに残しておくべきときがあるということだ。解説記事のような客観性が求められる記事では誤りは迅速に正されるべきだが、主観的な感想や意見が主張の根幹であるような記事については必ずしもそうではない。当時そのような考え方をしていたということが大事なのであり、それが現在の考えと異なっていたとしても記録として保存されるべきだということだ。

このようなときには、当時の主張は保ちつつ、追記という形で現在の考えを記すことにする。こうすることでブログの「思考の記録」としての機能は保たれるし、昔の意見が過激だったとしても今もそう思っていると誤解されることも少なくなるだろう。それに、考えの変遷を見るのもなかなか読んでいて面白いものだ。

ウォルト・ディズニーはディズニーランドについてこのように言った:

Disneyland will never be completed. It will continue to grow as long as there is imagination left in the world.

ブログも一緒だ。ブログは永遠に完成しない。ブログが完成するということは、俺の考えが成長をやめたということに他ならず、それは最も恥ずべきことだ。俺が新しいことを学ぶたび、俺の考えは必然的に変化する。それを記事に反映させることで、俺のブログはさらなる高みへと到達し、いつか特異点の向こう(原義)に届くのだ。