読みにくいブログを目指して

SNSはとても便利だ。SNSは短い文章で様々な情報が手軽に得られる。何か知りたいニュースがあるときはツイッターで調べると重要な情報を素早く見ることができる。フェイクニュースや誹謗中傷もあふれているが、たまに情報の要点を簡潔にまとめた素晴らしい投稿があったりする。また、興味のないような分野のことでも、長い文章なら読む気にならないが、高々140字程度のツイートなら読んでもいいかなと思うこともある。

最近の若い世代は長い文章をあまり読まないらしい。ツイッターのように、多くの短い断片的な文章から情報を抽出することに慣れている。確かに俺もツイッターを始めて以来、比較的長い文章を集中して読むことは、少なくなった気がする。これを頭ごなしに衰退だと非難するのはただの老害だ。これは情報があふれる時代の新しい情報処理の仕方だと捉えるべきだと思う。

ブログもSNSに少し似ているかもしれない。多くのブログは、とても読みやすいように書かれている。多くの人が関心を持つようなトピックについてわかりやすく情報を集約したり、自分なりの経験を紹介したりしている。文体も口語調でフレンドリーなのですぐに読める。文章量はSNSの投稿よりはずっと長いものが多いが、要点は強調されてまとめられているため、軽く読み流しても重要な情報が得られることが多い。有名人のブログでもない限り、こういうのを徹底しているのが大衆受けするブログなのだろう。

でも俺はそのような文章を書きたくない。俺は逆張りオタクなので、人が簡単に読めるような文章を書きたくない。いや逆に、せっかく俺が書いた文章を、人に簡単に読み飛ばしてほしくないと言った方が正確かもしれない。安易に消費されるコンテンツを作りたくないのだ。それが社会に求められていなくとも。

今日でこのブログを始めて1年になる。今までいろいろな形の記事を書いてきたが、もっと内容の濃い、一筋縄では読めないような記事を書きたいという思いがどんどん強くなっていった。

故意に分かりにくい表現を使って専門家気取りをするのではない。文章はできるだけわかりやすくし、あくまで人に伝えるための表現を使う。しかし内容が非常に難しいのでわからない、そういった記事を書きたいのである。そして内容が難しいというのは、理系大学生以上でない限り分からないような数学の話とか(そういう記事を時々書くのはただのメモというか自己満足のためだ)そういう専門的な難しさではなく、全人類が共有しているような、もっと基本的なレベルの話である。宇宙の起源とか、人生の意味とか、30段の階段でグリコをしてゲーム終了時に全員が21段目以上に到達している確率とか、だれしも一度は考えたことがあるような根源的な命題について、難解な議論を展開したい。

俺は難しい本のような記事を書きたいのである。軽く読んだだけじゃ理解できないが、じっくり時間をかけて、時には始めから読み直して、やっと理解できる本のような。そのような本の内容を少しでも理解したときの、視界が開けるような感覚が好きだからである。

今までこういう読みにくい記事を書くことはできただろうか?くだらないネタ記事やプロジェクトの紹介記事など合間に、自分の中で深く考えたトピックについて書いたりした。それは十分わかりやすく、かつ難解であっただろうか?つまり、人に伝えるための簡潔な表現を心掛けたか?そして読者にも思考を促すような十分深い視点が提供できたか?

このブログで読者と交流したことはないので他人がどう思っているのかは全然わからない。皆さん積極的にコメントしてくれても、いいんですよ。しかし自分的にはまだまだ理想のスタイルには遠いので、これからも文章に磨きをかけていきたい。

2年目もおそらく今までと同様、日常のこと、ネタ記事、真面目な記事をその時の気分に応じて書いていくことになる。もっと共有に値するような面白い経験をたくさんして、独特な視点を書いていきたいなと思う。あとネタ記事を書くときは、もっとユーモアのある文章を書きたい。例えば「クソデカ羅生門」のようなIQ 300の文章を。そしてなにより、じっくり考えて書くときには、読みにくい文章を心掛けていく。