ヤマハ MT-15 風の記憶

2年間連れ添った俺のバディ,ヤマハ MT-15との思い出.

プロローグ

学部2年生のときから原付に乗っていた俺は,颯爽と俺を追い抜くバイクへの憧れを募らせていた.
3年の春から教習所に通い始め,夏の初めに中型二輪の免許を取った.これからはじまるバイクとの夏休みに心を踊らせた.
ネットで県内の中古バイクを探し,値段や写真の見た目から興味を持ったものは,いくつか実物を見に行った.

仙台の小さなバイク屋に,そいつはいた.
その漆黒のボディに俺は吸い込まれた.
鋭い目つきに俺の心は射抜かれた.
一目惚れであった.

エンジンをかけると,ディスプレイに "Hi Buddy" と表示される.待たせたな,相棒.


第1章:バイクと見た世界

バイクを買った次の日に,はじめてのツーリングに出かけた.ライダーの友達が,俺達を宮城・牡鹿半島のコバルトラインに連れて行ってくれた.
8月の蒸すような空気の中,長袖のジャケットを着て走る俺達は,しかし暑さとは無縁だった.
まだ少々ぎこちない走りの中,俺達ははじめて風を切った.風は盛夏の熱気を吹き飛ばし,一緒に倦怠感も,将来の不安も.


風を待っていたんだ
何もない生活はきっと退屈すぎるから
風を待っていたんだ
風を待っていたんだ

―ヨルシカ「又三郎」

帰りに俺達は松島に寄り道した.俺が原付に乗っていた頃に見つけたとっておきの穴場,「馬の背」に友達を連れて行った.
駅の近くの,飲食店やお土産屋が立ち並ぶ観光地としての松島からは遠く離れており,車やバイクでしか行けない場所だ.だから人が少ない.

馬の背はGoogle Mapsにも載っているから,それでも何人か人は来る.しかし,少し正規のルートを外れると,誰も足を踏み入れないような,地図にも載っていない秘密の場所にたどり着ける.
ここでは,絶景を独り占めしながら寝転がって何時間も過ごすことだってできる.
この記事には場所を書かないし写真も貼らない.俺とバディ,そして一緒にツーリングに行った何人かの友達だけが知っている秘密基地である.

俺が見たいと思った景色は,いつだってバイクが連れて行ってくれた.俺達は航海に出て,まだ見たことのないめくるめく西方世界を目指した.

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滝の轟音と水しぶきの風を浴びた(宮城・秋保大滝).

風に散る紅葉を惜しんだ(宮城・鳴子峡).


冬が来て,俺達がかつて愛した風は寒風となり,ヘルメットやグローブを貫いて俺を凍えさせた.だから俺達は春を待った.

3月になり,気温の高まりと胸の高鳴りが同期(あるいは動悸)した.
はじまりはいつだって馬の背から.

南に走って,桜前線を迎えに行く(福島・花見山公園).



第2章:バイクという世界

いままで俺の好奇心は常にツーリングの目的地に向いていた.バディは,俺が見たい世界に到達するための案内人であった.
しかしあるときから,俺は旅路そのものを楽しみたいと思うようになった.
だから俺達は山を登った.ワインディング・ロードを求めた(福島・磐梯吾妻スカイライン,山形・西吾妻スカイバレー,山形・笹谷峠).

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バイクに体を預けて,重心を移動させながら曲がりくねる道を進む.カーブを一つ曲がるたびに,俺とバイクの境界はなくなっていった.バイクは俺になり,俺はバイクとなった.そして俺達は一緒に春風になった.

「ゲド戦記」では,魔法使いが動物に変身する魔法を使って,長い間姿を変えていると,いつしか心までその動物になり,人間であることを忘れてしまうという.

俺はもうこのときから,風になっているのかも知れない.

山の道を越えた俺達は,次に海の道を求めて,北の聖地を目指した.北海道は,ライダーのためにそう名付けられていたのか.
俺達が起こした一陣の風は,波を立て,雲を散らし,葦を戦がせ,風車を回した.

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風に乗って 僕の想像力という重力の向こうへ
まだ遠くへ まだ遠くへ 海の方へ

―ヨルシカ「老人と海」

オロロンラインを超える道を俺は未だ知らない.未知の道.

気温が下がってくると,バイクで走れる季節の終わりが意識されて寂しい.秋の夕暮れの寂しさは,これが原因だったのか.
それでも,1年の営みを終えようとする木々の一瞬の美しさに,山は華やぐ(福島・霊山).


やがて木枯らしが吹き,雪が降り.

僕らの憂いが日々日々積もってまるで雪の国ね
どうか躊躇って あなたも想って
雪が溶けるまで
愛が溶けるまで

―ヨルシカ「雪国」

そして別れの季節が来る.この春は俺にとって,大学との別れ,友人との別れ,故郷との別れ,そして相棒との別れ.

俺とバディは最後に卒業旅行に行く.俺達はふたたび海へ(宮城・気仙沼).
航空自衛隊 松島基地のブルーインパルスは空に描いた軌跡によって,

龍舞崎は波の花をもって,俺達を言祝いだ.

そして,はじまりの地,馬の背へ.

卒業,commencementは,「はじまり」を意味する.これは別れであるだけでなく,次の旅のはじまりなのである.

エピローグ

バイクがたくさん並んでいる駐輪場で,どこに停めたか忘れてしまっても,バディは簡単に見つけられる.単に,一番かっこいいバイクのもとに行けばよいのである.

俺とバディが走った14,000 kmは,地球の直径をかろうじて超える程度だけれど,俺とバディが走った20ヶ月は,大気さえ飛び出して,この星の今さえ抜け出して,世界の一番きれいな部分を見た時間だった.

俺の名前に「風」の字が含まれていることは偶然ではないのであろう.

これから,俺は東京の地で研究の旅に出る.バイクを連れていくことはできない.
だからお別れである.バディ,風が吹くたびに,俺はお前を思い出すだろう.あのとき起こした風は今どこで吹いているのだろう.今お前は誰と風に乗っているのだろう,と.

俺は最後にバイクに乗って,バイク屋にバディを預けに行った.バディと出会ったのと同じところだ.ここのおじさんはいつも良くしてくれた.バイクを大切にしてくれた.この人のもとでなら,バディも安心だろう.

歌でも詠むか.

ヘルメットと膨れた財布を握りしめ歩いて帰る道の寂しさ

帰り道を走れないもどかしさ.バディと引き換えに受け取ったこのお金は大切に使おう.

はらり,僕らもう息も忘れて
瞬きさえ億劫
さぁ,今日さえ明日過去に変わる
ただ風を待つ
だから僕らもう声も忘れて
さよならさえ億劫
ただ花が降るだけ晴れり
今,春吹雪

―ヨルシカ「春泥棒」

さらり花咲くや あから引く頬に
さざなみ,夜は海
貴方は水際一人手を振るだけ
今,左様なら 僕は都落ち

―ヨルシカ「都落ち」

上京するのに都落ちとは皮肉なものである.ありがとう,さようなら.