運転免許を取るまでの長い道のり

先日,晴れて運転免許を取得した.とても長い道のりを経たため,非常に大きい達成感を感じた.ここまでの過程を記録として残しておく.

Part 1. アメリカ

アメリカは16歳から運転免許を取得できる.アメリカは自動車社会で車がないとろくに買い物もできないし遊びにも行けない.課外活動やバイトがあるような生徒は特に移動に車を必要とする.よって高校生が車を運転することは妥当だと思われる.しかし妥当だと思われないのは,運転免許の取得の容易さだ.子供が,特に活動的な高校生が,いとも簡単に運転免許を取得して公道を走り回っているのは狂気だとしか思えない.しかし,せっかく16歳で免許を取得できるのなら,取得しない手はない.

運転免許の取得プロセスは州によって違うため,俺が滞在していた州の制度の説明をする.未成年が運転免許を取得する場合,まず筆記試験を受けて仮免許を発行する必要がある.仮免許を取得すると,助手席に保護者が乗っているという条件で公道を走れるようになる(は?).その後,合計24時間の学科の授業及び8時間の実技の講習がある.それに加えて,保護者と自主的に計50時間公道で運転練習をする.これは自己申告なので1時間も運転練習をしなくても本試験は受けられる(は?).仮免許取得して6か月たてば,本試験(実技試験)を受けることができるようになり,それに合格すると免許証が発行される.

渡米してしばらくたちようやく生活に慣れてきたころの高1の春に,運転免許を取ることにした.まずは仮免許を取得するために運転免許センターに5回ほど通った.内訳は,書類が足りなかった,開館日をミスった,書類が足りなかった,筆記試験に合格したが書類が足りなかった.仮免を発行したみたいな感じだった気がする.送迎をしてもらった両親にブチギレられた覚えがある.学科試験は非常に簡単で,英語さえ読めれば常識+ガイドブックを10分眺めるだけで合格することができるだろう.頑張って道路標識を覚えた時間は無駄だった.日本語で受けることもできたが,翻訳の精度がカスいらしくまともに読める代物ではないといううわさなので普通に英語で受けた.日本語で受けた友人は落ちたので煽りまくった.

その後,24時間の学科の講習がある.高校で放課後に受けることができるが,めんどくさかったのでオンラインでやることにした.これはアプリをポチポチしているだけで終わるので,内容をろくに見ずに学校の授業中などにポチポチしていた.テストの点数がやばいと受け直しになったりするので最小限のことは覚えたが,それ以外は基本的に合計24時間スマホをポチポチしているだけだった.とても面白くなかった.

それが終わると,計8時間の実技の講習があった.2時間のレッスンが4回あり,どれも公道でやる.3回目と4回目は高速に乗る.1回目の教官はブクブクに太った毛むくじゃらのヒッピーみたいなおじさんだった.確か高校の周りの住宅街を軽く走った.教官は助手席でジュースを飲みながらスマホでゲームをしていたのでとても怖かった.2回目は別の教官だった.1度すっぽかされたのでブチギレた.しかし実際は話しやすいいいおじさんで割と好きだった.しかし夜の運転は怖かった.3回目と4回目は同じおじさんだった.あまり話さない人だった.高速に乗ったが何回か事故りそうになってひやひやした.こうして無事実技の講習を終えた.

これらの講習と並行して,親と運転練習をした.ちょうど長い夏休みだったので,その間にたくさん練習した.最初はとても怖かったが,慣れてくると自然に運転できるようになった.しかしあまりにも適当に運転していたので,「日本じゃこんな運転許されないからな」と何度も脅された.俺は聞く耳を持たなかったが,帰国後後悔することになる.俺の運転技術はめきめき上達し,高速も乗りこなせるようになった.まあ実際,高速は速度が速いだけでただ道なりに走るだけなので,一般道よりも注意すべきことが少なくて楽まである.夏休み中にちゃんと50時間練習した.今思うと,50時間も俺の運転に付き合ってくれたのは怖かったろうしつまんなかっただろうな.感謝しています.

夏休みが明けて少ししてから,本試験を受けに行った.本試験は2つのパートがある.一つ目はmaneuverability testというもので,配置されたコーンの間を的確に進めるかを試験する.俺はこの試験にクソでかいホンダのオデッセイで臨んだのが間違いだった.車体がでかいのでかなり頑張らないとコーンにぶつかる.そしてコーンにぶつかった.2回くらいぶつかった.でも倒れなかったのでセーフらしい.は?

次のパートでは,公道で試験官の指示に従って運転する.これは割と余裕だった.左右確認が甘いとだめだしされたが,あまりクリティカルな減点ではなかったらしく受かった.

こうして本試験に受かった.この程度の試験で受かったドライバーがその辺をビュンビュン走っていると分かり寒気がした.高2の秋のことであった.

その後,アメリカで1年半運転したことになる.車を運転できると活動範囲が広がるので,課外活動に行ったり,バイトに行ったり,ジムに行ったり,遊びに行ったりいろいろできて楽しかった.高3のころはほぼ毎日放課後に運転していたので,両親はさぞ心配だったろう.今思うと,1度も事故らなかったのは奇跡的なことである.ひやっとすることは何度もあった.しかし生まれ持っての強運と類稀なる判断能力が俺の命と車を救った.

Part 2. 日本

受験が終わって引っ越しをして生活が少し落ち着いてから,日本の免許を取ることにした.当分運転する予定はなかったが,せっかくアメリカの免許を持っているのだからそれの期限が切れないうちに日本の免許を取っておきたかった.

外国免許切り替えの手続きは大まかに次の通り.まず書類を用意して免許センターに行く.この書類はアメリカの免許の翻訳文やパスポートや住民票やらもろもろを含む.こうして申請して,後日筆記試験と実技試験がある.受かればその場で免許が発行され,受からなければまた別日に試験を受ける.

まず申請をする.この翻訳文というのがめんどくさくて,何とか協会みたいなところに行って発行してもらわなければならない.英語くらい読めや.そして免許センターに行く.これが辺鄙なところにあって交通の時間的及び金銭的コストが高い.そして書類が足りないといわれ追い返された.このシチュエーション見たことあるな...?今回足りなかったのは,俺がアメリカで免許を取得してから半年以上アメリカに滞在していたことを示す書類.それくらい自明だろ?と切れそうになったが,柔軟な対応をしてもらえず,いらいらしながら帰った.後日高校の卒業証明書を持って行ってそれを見せつけて申請が通った.試験のスケジュールをしたが,なんか向こう1か月は予定が埋まっているらしく,1か月後に試験をすることになった.

1か月後,また辺鄙なところに時間をかけていって試験を受けた.学科試験はアメリカの試験よりも簡単だった.10問程度の一般常識で解ける問題で7割取れればいいらしい.小学校の道徳を履修していれば答えが自明な問題ばかりでびっくりした.

問題は実技試験だ.最後に運転したのは1年前で,帰国以来一回も車に触れていない(車に乗ったこともない)ので,すべての感覚が抜け落ちていた.試験官が発進を命じた.俺はすべての操作を忘れ,アクセルを踏んだ.当然車は進まなかった.なぜならギアがPのままになっており,ハンドブレーキもかかったままだったからだ.ここはまだ評価が始まっていないパートだったが,俺は不合格を確信した.とりあえず試験を続けたが,急な曲がり角で脱輪し,一時停止の標識でちゃんと止まらず試験官に強制ブレーキを掛けられるというありさまだった.あと,ウィンカーとワイパーがアメリカと左右逆なので,角を曲がろうとするたびに窓をきれいにした.当然不合格だった.試験官に「君,アメリカの感覚がまだ抜けてないのかな?笑笑笑」と盛大に煽られ,とても厳しい気持ちになった.不合格を示す赤い札を渡され,俺は試験場を後にした.次の試験は1か月後.

1か月後,また辺鄙なところに時間をかけていって試験を受けた.学科はすでに合格しているので実技だけだった.今回はちゃんとハンドブレーキを外してギアをDに変えてから発進することに成功した.試験の前に小さなコースを1周する慣らし走行というのがあるのだが,そこで俺は右側を走行し,試験官にそれを指摘された.ここはまだ評価が始まっていないパートだったが,俺は不合格を確信した.とりあえず試験を続けたが,アメリカとハンドルが逆なため車体の端の感覚がつかめておらず,怖くて右寄りに走っていたら右に寄りすぎと指摘された.そのほかにもいろいろミスった.当然不合格だった.不合格を示す赤い札を渡され,俺は試験場を後にした.次の試験は1か月後.

1か月後,また辺鄙なところに時間をかけていって試験を受けた.今回は結構自信があった.最初の慣らし走行で車体の感覚がつかめたので,とても良い運転ができた.しかし,ウィンカーを出すべきところでウィンカーを出さなかったり(とても紛らわしいところがあった),ウィンカーを出さずに直接右折レーンに入ったり,直進のところで左右確認を怠ったり,いろいろとダメ出しをされた.今回は完璧な運転をした感覚があったが,不合格となった.不合格を示す赤い札を渡され,俺は試験場を後にした.次の試験は1か月後.

1か月後,また辺鄙な(略).今回は自信があった.前回指摘されたところをしっかり意識して,かなり納得のいく運転ができた感覚があった.試験が終了し,道路わきに車を止めた.試験官の講評が始まった.「君,狭い道に入るときにちょっと膨らむ癖があるよね~」「君,あそこでちょっとハンドル切りすぎてたよね~」とダメ出しが始まった.俺の自信は打ち砕かれた.今回も...だめなのか...?やはり俺の運転は日本で通用するものではなかったのか?あのとき親の忠告をちゃんと聞いておけばよかったのか?なぜみんな簡単に合格していくのに,俺は何回もこの試験を受けなきゃなんないんだ?というかおれは1年半も運転して一度も事故らなかったんだぞ?お前らが細かすぎるだけだよ.公道に出たらだれも気にしてないよ.

おれは放心状態で試験官の説明を聞いていた.自分の才能のなさに嫌気がさした.無駄になった交通費と試験料のことを思い,悔しくなった.もう二度と運転したくなかった.

しかし試験官から渡されたのは,赤い札ではなかった.

俺の手には,青い札が握られていた.

「これは,合格ということですか...?」

「ま,まあ,車を降りるまで試験は終わってないから...」

心に一輪の花が咲いた.視界を覆っていた黒雲は消え,世界に明るい光が差し込んだ.

「ありがとうございます!」

今までのように,俺は試験場を後にした.しかし今までと違って,もう一度ここに来る必要はなかった.

飛び切りの笑顔で免許証の写真を撮った.ピカピカの免許証はその場で発行され,俺の財布にぴったり収まった.

帰り際に,ホームセンターに寄って初心者マークを買った.いつまでも,今日のようなすがすがしい気持ちで運転したいと願いを込めて.

総括

免許を取る活動を始めてから,日本の免許を取得するまでに,3年近くかかったことになる.本当に,長い道のりだった.

アメリカでかかった費用は,大体$400(大体4万円)くらいか.日本でかかったのは,交通費や試験料もろもろを含めて,同じくらいになる気がする.合計10万円はかからなかったので,日本で普通に教習所に行って免許を取るよりもずっと安上がりだ.

3回試験に落ちたことを人に言うと,バカにされることが分かったので,もう人には隠して生きていく.