宇宙船地球号 操縦マニュアル ―未来への贈り物

宇宙船地球号

 

この言葉を聞いたことがある人は多いだろう。地球を一つの宇宙船に見立て、その中でうまく資源を活用し暮らしていこうという概念を説明するときによく使われる。しかし、その言葉がどこから生まれたのか知っている人は少ない。

 

今日は、「宇宙船地球号 操縦マニュアル」という本を紹介する。宇宙船地球号という言葉の発祥がまさにこれである。今年読んだ本の中で一番衝撃的な本だった。この本があまり世に知られていないことには驚きを隠せない。できるだけ多くの人とこの感動を共有したいと思い、この記事の執筆に至った。

 

 

 

この本と著者について

 

宇宙船地球号操縦マニュアル (ちくま学芸文庫)

宇宙船地球号操縦マニュアル (ちくま学芸文庫)

  • 作者: バックミンスターフラー,Richard Buckminster Fuller,芹沢高志
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2000/10/01
  • メディア: 文庫
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「宇宙船地球号 操縦マニュアル」(原題: Operating Manual for Spaceship Earth)は、1968年にバックミンスター・フラーによって出版された書籍である。バックミンスター・フラーはアメリカの発明家、建築家、数学者、作家(ほかにもあるかもしれない)であり、その多才さから「現代のレオナルド・ダ・ビンチ」と呼ばれる。若いころ事業に失敗し、自殺を考えたものの、そこで思いとどまって「シナジー幾何学」という新しい数学を生み出したことに始まり、それ以後目覚ましい創造性を発揮して、ジオデシック・ドームやダイマクション・ハウスなどを発明し、宇宙船地球号はもちろん、シナジェティクスや、デザイン・サイエンスなどの考えを広めた。

 

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「現代のレオナルド・ダ・ビンチ」バックミンスター・フラー

出典:Wikipedia

 

ところで、分子式C60であらわされる炭素の同位体、フラーレンの名は、バックミンスター・フラーから来ている。彼の発明の一つであるジオデシック・ドームの構造が、フラーレンの構造と似ているからだ。だから、C60の正式名称は、バックミンスターフラーレンという。

 

大海賊の包括的思考

人間の根源的な衝動のひとつは、理解し、理解されることだ。ほかのすべての生物は、極めて専門分化した働きに向くようにデザインされている。人間は、自分たちが生きるこのローカル宇宙の出来事の、包括的な理解者、調整者として、ユニークに見える。

 

フラーがこの本を通じて伝えようとしていることの一つは、包括的な思考の重要性である。人間は、様々な経験、実験の中から、根底に流れる宇宙の一般原理を見つけ出し、それを活用することによって文明を大きく発展させてきた。それぞれの事象を一つ一つ見ていても気づかないことを、すべてを包括的にとらえることで、よりレベルの高い知識を抽出してきたのだ。フラーの例を用いて説明すると、船が難破して、たまたまピアノの上板が流れてきたときに、それには浮力があるからそれにつかまれば助かる。しかし、ピアノの上板が救命具の最良のデザインであるわけではない。それは一つの特殊ケースに過ぎないのだ。浮力という、より一般的、包括的な原理を発見し、それを有効に活用していくことで、よりよい解決策を見出すことができる。

 

動物たちは多様な専門性を持っているが、このような一般的で、柔軟な理解ができる能力を持つのは、どこを探しても人間しかいない。この能力は、コンピューターをもってしても(今のところ)まねできない。巷でAIが騒がれているが、AIは結局は統計でしかなく、幅広い分野で柔軟な知的能力をもつ汎用人工知能(AGI)は、まだ実現されていない。現在のAIは、特殊ケースしか処理できないのだ。囲碁で人間の世界チャンピオンを破ったAlphaGoというAIは、どんなに囲碁が強くても、洗濯物をたたむこともできない。「何でもできる」能力というのは、人間にユニークなのだ。これについての詳しい話は、「人間らしさとは」という記事を参照されたい。

 

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しかし、このような独創的な思考は、小さい時からつぶされ、機能しなくなっているとフラーは言う。この包括的な思考を妨げているのが、専門分化である。自分の専門分野に限った偏狭で近視眼的なものの見方が、人間に特有の一般的な知性を衰えさせている。極度に専門分化した動物は、絶滅に至ることが知られている。餌をとるためにくちばしを極度に発達させた鳥は、環境が変化したときにくちばしが重くて飛んで逃げることができない、というように。

 

専門分化はなぜ始まったのかというと、それは大海賊の支配によるものだとフラーは説明する。人類で初めて海に出て、世界を初めて包括的に理解した者たちは、大海賊となり、その世界に関する知識を武器に富を蓄えていき、世界を暗に支配するようになった。そして市民たちに専門的な教育を施し、自分たちの奴隷として扱うようになった。もちろん、市民たちは自分たちが奴隷だとは思っちゃいない。専門的な知識が生活を保障してくれると思い込み、せっせと働くが、それは結局海賊たちに利用されて、彼らに知識と労働力を提供することとなるのだ。専門分化し、包括的な理解力を持たない者は、そのことを理解できない。専門家は、奴隷なのだ。これで、海賊たちはさらに力をつけていった。しかし第1次世界大戦ごろから、奴隷であった科学者たちが海賊たちの理解の届かないところに行き、世界恐慌もあって海賊たちは絶滅したのだが。

 

この歴史観が正確なものかどうかは疑問だが、それでも説得力がある。狭い視野を持つ人間には、世界全体を理解してそこに一般原理を見つけ出し、世界を導いていくというのは到底できない。包括的な理解力を持つ者だけが、世界に君臨できるというのは、十分理解できると思う。

 

そして、世界の包括的な理解者を失い、専門分化をさらに進める人類に、新たな危機が訪れる。それが、コンピューターの誕生である。フラーが「超専門家」と呼ぶコンピューターは、休むことなく、膨大な量の知識を蓄え、情報を瞬時に処理することができる。専門的な能力では、人間はコンピューターに勝つことはできない。人間は、再び包括的な知性を取り戻し、活用していかなければならない。これが、新しい進化の流れなのだ。

 

パソコンもインターネットも存在していなかった1968年に、フラーがここまでコンピューターの社会的インパクトについて理解していたということには、驚きである。2019年の私たちは、コンピューターによる自動化の影響を、やっと薄々感じ始めたというのに。AI技術の発達によって、コンピューターが得意とする、専門的な仕事の自動化が、ようやく現実味を帯びてきたが、フラーはこのことを50年前から予見していたようだ。そして現在、機械に代替できない、人間に特有な柔軟な思考力やコミュニケーション能力、そして高い創造性への評価が高まってきており、日本でも大学入試改革のように、教育の変革がされようとしている。これは、フラーの言う包括的な知性をはぐくむことである。何度も言うが、フラーの主張が50年後の今でも十分通用する、むしろ今にこそ通用するということで、彼の先鋭的な洞察力には驚愕する。

 

AIによる自動化に関しては、以下の関連記事も参考にしてほしい。

 

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シナジー  ―富とは何か

戦争は、持たざる者が持てる者の富を獲得しようとして起こる。持てる者は防衛のために膨大な富を軍備の増強につぎ込むが、その富は世界中の持たざる者に経済援助を与えて余りある金額だ。地球の問題を包括的に理解し、解決していくためには、まず富というものが何であるかを知らなければならない。

 

フラーは、次の富の定義を与える。

富というのは、代謝的、超物質的再生に関して、物質的に規定されたある時間と空間の解放レベルを維持するために、私たちがある数の人間のために具体的に準備できた未来の日数のことだ。

 

つまり、富というのは、自由な未来の大きさ、未来への障害の少なさなのだ。お金をたくさん持っていれば、それによって少しは自由な生活が送れるようになるが、それ以上に、知性とか、世界に対する理解というものが大きな価値を持つようになってくる。フラーは、富を物質的な富と超物質的な富に分類する。物質的な富は、有限の資源であり、しかしそれは減ることはない。エネルギー保存の法則により、物質や物理的なエネルギーは循環するからだ。一方、超物質的な富というのは、知識とか知性といったものである。私たちは実験、経験をすることによって、世界への理解を深めていく。よって、超物質的な富というのは、減ることはなく、増えるのみである。富は、使えば使うほど増えていく。そして、超物質的な富は、物質世界の一般原理を理解し、無秩序が増大するという熱力学第二法則に逆らって局所的な秩序を増やしていく。さらにアイデア間の相互作用により、超物質的な富は爆発的に増えていく。

 

この相互作用のことを、シナジーという。全体が、部分の総和よりも大きいとき、それはシナジー的である。例えば、水分子の性質は、それを構成する水素原子や酸素原子の性質だけを見ていてもわからない。シナジーは、専門的、近視眼的な思考では生まれないが、全体を包括的に理解するとき、それが見えてくる。シナジーは、フラーの思想の根幹をなす概念の一つである。

 

現在の資本主義や社会主義といった経済システムでは、こういった本当の富が勘定に入っていない。また、分断された社会では、シナジーの効果は限られている。世界規模で、国家主権を解体していくことが、人類に残された唯一の道であるとフラーは主張する。

 

俺は、この富の定義がとても気に入った。現代社会で一般に用いられている「富」は、物事の物質的な価値である。しかし、物質は有限であり、共有されるべきものだ。それに対して、知性や知識、情報といった超物質的な価値は、物質よりも高レベルにあり、より本質的であるように感じる。それに、超物質的な価値は、無限の可能性を秘めている。人間が宇宙に積極的に働きかけて様々な経験をし、そこから一般原理を抽出していく作業を繰り返していくことによって、超物質は物質を支配し、シナジー的に増えていく。だから富を増やして、人類の持続的な発展を続けるためには、物理的なものではなく、経験に投資するべきなのだ。この考え方は、最近注目を浴びているミニマリズムにつながってくる。ミニマリズムでは、必要最低限のもので暮らし、自分の成長や経験に資源を割くという考え方で、それはフラーの富の定義に従っていると思う。

 

また、この富の定義は、その意味からして、社会で共有されるものである。未来をよりよくするための物質的、超物質的な資源が富なのだ。未来は全人類に共有されるものであり、未来に働きかけるこの「富」も、また共有されるべきものだ。

 

さらに、国家権力の解体についても考えてみたい。国家を超越する存在は必要だと俺も前から思っていて、全地球を包括する世界政府のような存在が必要だと考えていた。それによってグローバルな問題にグローバルに対処することができ、国が自国の短期的な経済的利益を求めて他国を踏みにじるということがなくなる。フラーも、地球を一つのシステムとしてとらえ、その中で包括的に問題に対処していくには、国家権力の解体が必要だと考えている。しかし、その実現には時間がかかりそうである。すでに述べたように、現代社会はむしろ分断の道を進んでおり、国際的な機関は機能していない。

 

最後に、フラーの富の定義を突き詰めていくと、結局は「富 = 秩序」ということに行きつくと思う。人間は知性をもって秩序を増やしていくことができるが、秩序は、人間が存在するずっと前からある。宇宙全体の無秩序は増大するという絶対の物理法則があるにもかかわらず、私たちは非常に秩序だったエネルギー循環のシステムを持つ地球に生まれることができた。この秩序は、人類が共有するかけがえのない財産である。しかし人間は専門的、短期的な秩序を追い求めるあまり、その絶妙の均衡を壊し、包括的な秩序を破壊してきた。その責任を未来に負わせないために、我々は全力をもって地球の秩序を取り戻さなければならない。それができるのが、人間の包括的思考力なのだ。我々の宇宙の理解をさらに高め、地球規模での秩序を増やすことで初めて、人類は持続的な成長が可能になる。

 

人類は殻を破ったヒヨコ ―これから地球でどう生きていくか

もし私たちが、「宇宙船地球号」の上に数十億年にもわたって保存された、この秩序化されたエネルギー貯金[化石燃料]を、天文学の時間でいえばほんの一瞬にすぎない時間に使い果たし続けるほど愚かでないとすれば、科学による世界を巻き込んだ工業的進化を通して、人類すべてが成功することもできるだろう。これらのエネルギー貯金は「宇宙船地球号」の生命再生保障銀行口座に預けられ、自動発進(セルフ・スターター)機能が作動するときにのみ使われる。

 

地球は、一つの宇宙船である。エネルギー供給母艦、太陽からのエネルギーと、交流発電機、月からの重力で、地球上では絶妙のバランスが保たれている。そして地球は、人類が持続可能で秩序だった文明を築くのに必要となるエネルギーを、化石燃料の形で貯蔵してきた。人間は化石燃料を燃やしながら、知性を高め、宇宙の一般法則を理解し、地球上に秩序を形成してきた。

 

しかし、その燃料は今、尽きようとしている。栄養たっぷりの殻の中で育ったヒヨコが、殻を突き破って飛び出してくるように、人類は、化石燃料に依存した発展をやめ、自分たちでエネルギーを取り出して成長を続けなければいけない。殻を破った後、大空にはばたくか、地面で飢え死にするかは、今の時代を生きる私たちの努力にかかっている。太陽から無限に供給されるエネルギーをうまく利用し、持続可能な社会を築いていかなければ、人類の未来はない。

 

そのためには、コンピューターによる自動化を通して人類を低レベルの労働から解放し、超物質的な富を増やすことによって、宇宙、地球に対する理解を深め、物質資源を再配置して問題を解決していかなければならない

 

もし化石燃料がちょうど今枯渇するということが、全くの偶然だったならば、それは奇跡としか言いようがないだろう。なぜなら、もし化石燃料がもっとあったら、人類は生態系を破壊し、最後の一人まで飢え死にするまで、化石燃料を燃やし続けていたことだろうから。逆にもし化石燃料がもっと少なかったら、十分な技術力を獲得する前に発展が中断され、人類は原始生活に逆戻りする羽目になっただろうから。ちょうど化石燃料による環境への弊害が顕在化し始め、そして持続可能な社会を築きうる技術を持つ文明に人類が到達しつつあるときに、化石燃料がなくなるようになっているのは、デザインされてのことなのだろうか。あまりにもよくできているように見える。人類は、殻の中で守られて、十分に成長した。自動発進機能を使って、高度な文明を手に入れた。これからの人類の運命を左右するのは、まさに我々の世代なのだ。なんという大変な時代に生まれてきたのだろう。しかしそれは同時にエキサイティングでもある。私たちが未来への責任を果たし、人類の永続的な繁栄の土台を築くのだ。

 

この本と出会った奇跡

以上が、この本の概要と、それに対する俺の意見だ。俺はこの本を古本屋で偶然見つけたが、ちょうど世界や人類の未来、AIや環境問題について深く考えていたときに、この本に出会えたことは奇跡的である。

 

この本は、これからの世界を正しい方向に導いていくうえでの、一つの指針を示してくれた。この本はマニュアルであり、バイブルである。俺は、この本を盲目に崇拝し、追従することはせず、常に疑問を持つことはやめないが、今のところはこの本が描く未来に向かって、進んでいこうと思う。今の俺には、この方向が正しい方向であるように見える。この本からは、物事を包括的にとらえ、超物質的な知性をもって物質宇宙に秩序、すなわち富をもたらすことと、有限の地球上で富を上手に活用し、自立した文明を築いていくことの必要性を学んだ。この本を読んだ今、世界に対して強い責任感を感じると同時に、未来に対して明るい希望が湧いてくる。一生涯、大切にしたい本である。ほかのフラーの著作も、読んでみたい。

 

「宇宙船地球号」という言葉を聞くと、日本科学未来館の展示「ジオ・コスモス」を連想する。地球を模した、中空に浮かぶ巨大な球を見ていると、やはり世界はつながっていて、地球は全人類が共有する乗り物なんだという気持ちになる。この、美しく青い惑星を、いつまでも保ちたいという気持ちになる。ところで、このジオ・コスモスは、ジオデシック構造を採用している。これはまさに、バックミンスター・フラーの発明の一つである。これは偶然か、必然か。フラーがこれを見たら、何を思うだろう。

 

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日本科学未来館の宇宙船地球号

 

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 この本は、フラーが私たちに残してくれた贈り物である。彼はあまりにも時代の先を行き過ぎていて、当時はあまり理解されなかった。しかし、時代がようやくフラーに追いついてきて、彼の描く世界が、だんだん現実味を帯びてきており、彼の主張はますます重要性を増している。今こそフラーを再評価し、彼の思想を社会に生かしていく時なのだ。

 

この本は、できるだけ多くの人に読んでほしい。より多くの人に、私たちの過去、現在、そして未来について考えてほしい。そして、宇宙船地球号の船員として、私たちが共有するかけがえのない地球を、ともに良くしていきたい。